古平戸とは

Between 1750 and 1830 it was the finest porcelain in Japan. Even cleaner.
More Milky-white and brilliant. than that of Nabesima. Not to Speak of Arita


「1750年~1830年」の間に作られた平戸焼は、有田焼は言うまでもなく、鍋島青磁よりも更に綺麗で、更に
乳白色で光沢があり、日本に於ける最も見事な磁器であった。

「日本陶磁器考」(1925年) エミール・ハンノーバー著書

(前 コペンハーゲン工芸博物館 館長)橋詰光春(訳)


三川内焼は江戸時代後期(1750~1830)に超絶技巧の磁器として高く評価されていました。
染付、赤絵、置きあげ、彫、ひねりもの、etc 何一つとして遅れを取る技術は無く、
とりわけ磁器の土への造詣は、他産地の追随を許しませんでした。

その土から生まれた「卵殻手」(Egg shell)は、世界の旅行作家の日記にも「長崎の名物」として
鼈甲(べっこう)とともに紹介されています。現代では、染付唐子の産地として有名ですが、藩窯当時は、
西洋向けの輸出に力を入れていたので、むしろ赤絵(有田風ではなく西洋絵具を用いた作品)
の金襴手二度焼きに代表される技法などが発展しています。
(明治初期の有田香蘭社の金襴手二度焼きは、殆ど三川内の森利喜松氏の手によるものです)

また、デコラティブな造形は西洋で高い評価を受け、明治政府の重鎮・納富介次郎も三川内の
「置き上げ技法」を「セーブルやミントンより先鞭とす」と述べています。

三川内が「染付・唐子」のみの産地ではないと言う事を知ってもらえると幸いに思います。