名工 池田安次郎 (いけだ あんじろう) に思う


三川内には400年の歴史に恥じない「名工」達が大勢います。
池田安次郎もその一人です。
卵殻手は、三川内での伝承によると「文化・文政」(1804~1829)の時代に形作られ天保年間(1830~1843)完成した。
と言われ、「ごくわずかの工人のみが成形できた」と伝え聞きます。

池田安次郎も卵殻手製作の名人であって、決して発案者ではないのです。
ネットの危うさで「1837(天保8)年に平戸焼の名工・池田安次郎が初めて製作したと伝えられる」との記述が流布しておりますが、池田安次郎を含めその他多くの工人たちが成し得た「卵殻手」の技は「三川内焼」の「宝」として伝承されるべきものだと確信しております。

その卵殻手を定義すると

1.網代陶石を使用する。
2.手作りで成形する。
3.起こし焼きで焼成する。
この三つの技の完成には、磁器焼成の頂点を極めたものだけがたどり着ける境地なのです。

私も早く、そうなりたいものです。

また、絵付けの工人にも、その名を轟かせた人がいます。

森利喜松は、明治期の万博出展の絵付けを担当し、「三川内焼」のみならず「有田焼」「香蘭社」の明治10年~20年の金襴手錦は、氏の手によるものであります。

右写真の金襴菊絵を見るとその実力のほどが伺え当時の「有田焼」には、有田で生まれた絵の具へのこだわりのためか?「金襴手」は、三川内、九谷、から遅れを取る事に成ったと思われます。

我が「三川内」に金襴手上絵が定着しなかった事が悔やまれて成りません。